ひとりごと

憂鬱な日常とか、毒親のこと

気がついたこと

 

 診察であまりにうまく話せなくて、親に言われたことやされたことをノートにまとめてみた。

 それで気がついたのは、親とわたしは人間としての基本的なところの考えが違うということだった。あの人たちは、自分(たち)さえよければ他のひとに迷惑がかかろうと関係ないようだった。それなのに世間体をなによりも大事にしていて、表面的には笑顔で明るい夫婦と家族であろうとしている。子どもの考えや気持ちをひとりの人間のものと考えられず、勝手な意見を子どもに押しつけて従わせる。

 そして思い通りにならなかった子どもには、生まなきゃよかったと憎々しげに言う。そんなこと言われてもどうしようもない。勝手にセックスしたのも生むと決めたのも彼らなのに。

 あの人たちとわたしは根本的なところが違うのだから、相性が合わないのは当然だった。冷めた言い方かもしれないが、良い家族関係を築くよりも、他人、または別の人類として接するほうが楽。あまり関わらないほうがいい。

 そうなると、なるべくはやく家を出たいのだけど……治療しながら自立できるのか。次回のカウンセリングで相談してみようと思う。

 

 

 

無題

 

 毎日虐待のニュースばかりで、正直、つらい。親に言われたことやされたことを思い出し、やっぱり苦しかったと改めて認識する。なぜこんな目に遇わせた相手を許さなければならないのか。私はまだそこまでたどり着けていない。

 昨日は眠りながら泣いていたようだ。

 心身ともに疲れきっている。

 

 

思い出

 

 幼少期のわたしの写真に、笑顔で撮られたものは一枚もない。しかめっ面か、泣いているかのどちらかである。

 子どものころからわたしは病気がちだった。でも今思えば、当然といえば当然だった。うちの両親には、栄養や衛生といった知識あるいは教養がまるでなかったのである。トイレの後は手洗いをするとか、どの野菜が緑黄色野菜とか、熱がある時はどうするとか。あの両親はいろいろなことを知らなすぎた。

 産みっぱなしで、子どもが勝手に健やかな体に育つはずもないのだが、いまだにそう考えている人たちもいる。まともな知識もなく、自分たちの経験だけでこれが正しいやり方だと決めつけ、新しいことやイレギュラーなこと、本当に正しいことは頑なに認めようとしない。そういう典型的な田舎の人間がうちの親だ。

 病気がちな娘のそもそもの原因を考えず、本人のせいにして責め、症状に苦しむ姿を見て見ぬふりをする。しまいには、咳こむ幼い子どもに向かって「うるさい!」だの「また風邪ひいたの!?」である。

 こんな人たちに気まぐれに写真を撮られても、うれしいはずはない。幼くても、毒親という言葉を知らなくても、感じるものがあったのではないか。

 ほかの毒親育ちの方たちは、どうなのだろう。写真すらないという方もいるかもしれないが、すこし気になった。

 ちなみにわたしの写真は、産まれた時の三枚と幼少期の三枚である。カメラを向けてもにこりともしないわたしに、撮影する気持ちはすっかりなくなったのか。あとは保育園や学校で、教師や親以外に撮られたものしかなかった。

 

 

 

今日のこと

 

 

 誰かの人生と自分の人生を比較しても、どうしようもないということは理解している。

 カウンセリングを終え、考えていることをまとめたいとカフェに入った。そこには先客が何組かいて、にぎやかに談笑していた。恋愛話をする大学生らしい男女のグループと、韓国人アイドルの話題で盛り上がる制服姿の女の子のグループ。その他はみんなひとりで、勉強したりスマホを眺めていた。

 それぞれのグループの会話が盛り上がると、フロア全体に彼らの声が響き渡り、わたしはなんだかよくわからない眩暈のようなものを感じてしまった。

 実は今日のカウンセリングの最中にも、ふらふらするような感覚があった。ひょっとしたらこの浮遊感は、一種のアレルギー反応なのではないかと考えられる。カウンセリングでは自分の気持ちや家族について話している。これらはわたしにとっては苦手なことで、できるだけ見て見ぬふりをして、蓋を閉めるように逃げてきたことだった。

 楽しそうに談笑する彼らにも、いろいろな悩みや事情はたぶんあるだろう。それでもただ楽しそうにしているというだけで、わたしにはじゅうぶんすぎるほど眩しい。誰かと比較したりしてもどうしようもない。でもやはり羨ましいとか、どうして自分は……とか、ネガティブな感情を抱いてしまう時もある。そんな自分から逃避したいというか、直視したくないという反応が、わたし自身の体に起こっているのではないかと思う。

 どんな自分になれば、このような眩暈をおぼえずに生きられるだろうか。この薄暗い感情から解放される時は来るのだろうか……。今はまだまだ難しいけれど、わたしは変わりたい。ほんの少しずつでも変わっていけたらと願っている。

 

 

 

年末年始のこと

 わたしは家族とうまくいっていない。
 家族というよりは両親で、わたし自身まだ傷口を広げて過去と向き合う勇気がないため、彼らがどんな人たちなのか詳しく書くのはまた今度にする。とにかくうまくいっていない。わたしたち家族は、一緒にいてはいけないのだろうと思う。

 年末年始は、家を出て束の間の自由を満喫してもいい。わたしは昨年からそういうふうに考えられるようになった。昔ながらの慣習やテレビなどの刷り込みで、家族揃ってお正月を過ごさなければいけない……と考えている方もいるだろう。でもそのせいで心身ともに疲れはててしまうよりも、自分にとって楽で居心地のよい過ごし方を選んだほうがずっといい。

 家族と一緒にいられないことに、自分を責めたり、罪悪感を覚える必要はまったくない。
 昨年鬱と摂食障害で入院した時に、担当の医師からそういうふうに言ってもらえてわたしはずいぶん楽になれたと思う。仲良し家族に憧れのようなものはたぶんあるけれども、それはやはり、今の両親とはどうしても叶いそうもない。すこしでも自分にとって居心地のよいほうを選んでいきたいと考えられるようになり、年末年始、わたしは堂々と家出している。親と一緒にいては楽しめない、おいしいごはんを食べたり、お酒を飲んだりする。好きな洋服だって着る。周りの目は気にしない。


 近い将来自立するために、自分が生きやすいようにするために、考えていることをここで書いて、まとめたり変えたりしようと思う。いつまで続けられるかわからないけれど、文章を書くのは好きかもしれない。