ひとりごと

憂鬱な日常とか、毒親のこと

思い出

 

 幼少期のわたしの写真に、笑顔で撮られたものは一枚もない。しかめっ面か、泣いているかのどちらかである。

 子どものころからわたしは病気がちだった。でも今思えば、当然といえば当然だった。うちの両親には、栄養や衛生といった知識あるいは教養がまるでなかったのである。トイレの後は手洗いをするとか、どの野菜が緑黄色野菜とか、熱がある時はどうするとか。あの両親はいろいろなことを知らなすぎた。

 産みっぱなしで、子どもが勝手に健やかな体に育つはずもないのだが、いまだにそう考えている人たちもいる。まともな知識もなく、自分たちの経験だけでこれが正しいやり方だと決めつけ、新しいことやイレギュラーなこと、本当に正しいことは頑なに認めようとしない。そういう典型的な田舎の人間がうちの親だ。

 病気がちな娘のそもそもの原因を考えず、本人のせいにして責め、症状に苦しむ姿を見て見ぬふりをする。しまいには、咳こむ幼い子どもに向かって「うるさい!」だの「また風邪ひいたの!?」である。

 こんな人たちに気まぐれに写真を撮られても、うれしいはずはない。幼くても、毒親という言葉を知らなくても、感じるものがあったのではないか。

 ほかの毒親育ちの方たちは、どうなのだろう。写真すらないという方もいるかもしれないが、すこし気になった。

 ちなみにわたしの写真は、産まれた時の三枚と幼少期の三枚である。カメラを向けてもにこりともしないわたしに、撮影する気持ちはすっかりなくなったのか。あとは保育園や学校で、教師や親以外に撮られたものしかなかった。